2001年 3月の章   もどる

3月31日

息子が 黒いパンツを 荷物に入れるのを 忘れたので 宅急便で送った。

それは 上の娘が最寄りにある服を 着たことからはじまった。

「家でゴロゴロするだけだから お兄ちゃんの?これ借りるね。」と黒いパンツをはいていた。

親の私が言うのもなんだが 我が家の花(上娘)は 細身で足もちょっと長い。

花より身長が15cmは高いお兄ちゃんの黒いパンツを はいても まだ足首がのぞいている。

しかもブカブカだ。

兄ちゃんて 胴長短足だね。ムフ

そんなこと言われても 兄は我関せず。。それが いいところ。

そして 二人ともそれぞれの 居場所に戻っていった。

後に残された お兄ちゃんのズボンは 洗濯して

ユニクロで買ったソックスやシャツも付け足して

今日 クロネコでやっと送ったのだ。ホッ

そして 息子の携帯にメールを入れた

「黒いパンツを宅急便で送ったよ。明後日夜到着」すると 即返事が来た。

「いま 群馬にいるよ、そのころは合宿で留守です野ざらしじゃ〜〜〜」と

母 「えええ〜〜〜 黒いパンツ送ったのに。。」

息子「黒いヤツなら 今 はいてるけど」 

母「。。。。。。。。。。。。。。」

我が家から 私の黒いパンツが1本、都に行った。


3月30日

私は毎朝、一番に新聞の日替わり運勢を見る。

かなり 信じている。

11月「人には寛容に、己には厳しく。身勝手は総スカンを食う」

手遅れだ。。いままで、そうやって生きてきた。

あ、今日1日の運勢だ、今日1日だけ気を付けよう。

人と自分に寛容ならば 大目に見てもらえるだろう。甘いかなぁ。。

何をもって 自分に厳しくなのかが わからないが、自我を抑え、欲望を抑えることだろうか?

しまった、遅かった。

甘い菓子パンを山盛り買い、腹一杯 食べた後だ。

後の祭り。

とりあえず、今日1日は 終わった。

今日の運勢は今日で終わりだ。

明日はあしたの風が吹く


3月29日

愛犬チョコが 執拗に散歩をせがむときは、雨が降る1時間前だ。

雨の音を聞き分けるのか、雨の臭いを感じるのか。。

きのう、夕立が降った。

やはり 1時間前から ソワソワとせっつくような 鳴き方をするので

いつもより2時間早く散歩に出かけた。

案の定、途中から雨が降り出した。

雨の降り始めの 砂ホコリが舞い上がったような ほこりっぽい臭いが好きだ。

もやもやっと 立ち上ってきて 鼻から目の奥に抜け、頭の奥で

これは 暖かい砂の匂いみたい・・・・・。と言葉となって反復する。

湿った空気といっしょに いっぱい吸い込んでみる。

雨の匂いだ。生かされてるって いいなぁ。

ね、チョコ 

走ろうか、このまま 濡れながら歩こうか?


 

3月28日

「あ、時間だ!」と家を 飛び出して、かなりたって気が付いた。

財布の中には 500円玉1個しか入っていなかった。

ま、いっか。なんとかなるさ、キャッシュコーナー見つければ良いし。。

月末は これで良いのだ。

月はじめだと 心配で札を1枚入れておく。

これが 大きな間違い。

気持ちも大きくなる。

だから、きょうの私は 気持ちも懐も小さい。


3月27日

呉に、陣中見舞いに行って来た。

地震の直後は 電話がつながっただけで嬉しかったが、

時間がたつにつれて 毎日、電話で様子を話すだけでは 気が済まなくなった母は

「遠くの娘より、近くの他人の娘よね。。。。 (¬¬)」と

電話の向こうで 弱気になっている。

さっそく 近所のお好み焼き屋さんの お好み焼きを持って 駆けつけたら

水道工事屋さんや 近所の電気屋さんの娘さん達が 入れ替わり立ち替わり家の中を

出入りして 様子を見てくださっていた。

その間、爺さんは コタツにあたってTVを見ている。

私も 「お世話になります。ヨロシク お願いします。」 「ありがとうございました。」と

声をかけただけで 爺さんといっしょに コタツで 婆に入れてもらったコーヒーを数杯飲み

イチゴを ムシャムシャ食べながら いかに怖くて 大変だったか 母の話を ふんふん。。と聞いただけだった。

母の声がしなくなったと思ったら シャカシャカとどこからか 音がする。

行ってみると 畳を上げた縁の下の土台の隙間を 母はセメントで塗り固めていた。

そして 「ここが 例の地割れなんよ」と 見せてくれた。

「ありゃあ〜〜〜 まあ〜〜〜」と 驚いただけで またコタツの爺さんのとこに戻る。

そうこうするうちに 風呂場とトイレの水が出るようになり 洗濯も出来るようになった。

「これで 安心だね、じゃあ帰るわ。」と言うと

母は 嬉しそうに上機嫌で 「世話になったね、助かったわ」と送り出してくれた。

(・_・?)...ン?

わたしは 結局 持参したお好み焼きを食べて コーヒーとイチゴをご馳走になっただけだったのだ。

 


3月26日

今日は 夫と姑と私は叔母の葬式に行った。

ちょっとボケ気味の姑にとって、三本の心の矢の太い1本が 欠けたようなものだろう。

仕事から 帰宅したら 朝の葬式のことを 忘れたように庭の草取りをしていた。

夜、11時、部屋から出てきて、いつもの

「みんな おる?」と聞く。これは10分刻みで やってくる。

しかし、今日はちょっと違った

「明日は 私も食べさせてもらるの?」と聞く。

「もちろん!、いつも 食べてますよ。」と言うと、

「あなたは この家にずっと居てくれるのか?」と聞かれた

「はあ。。」と あいまいに返事をしたら。

「ヨロシク、お願いしますね。居てくれるんじゃね?」と言われた。

結婚して20数年、この言葉は はじめて聞いた。

20年かかった。と言った方が正しい。

半分ボケなきゃ、こんな言葉 こんな嫁には、言えない台詞だろう

しかし

「はあ・・・」と また、あいまいに返事した。

「ヨロシク、たのみます」と言って 姑は 部屋に戻った。

5分後、姑は 部屋から出てきて また同じ会話をした。

そして いつもの質問 「子供達は?」

「もう 遅いから みんな2階で 寝ています。もう、 寝たら(-_-;)」

「そう、みんな居るのなら よかった。」と言って部屋に戻る。

そして 私はコタツで ふんぞり返って

衛星放送の「サウンド オブ ミュージック」を 歌を歌いながら 見続けた。

 


3月25日

昨日、夫の叔母さんが 94歳、老衰で亡くなった。

近所には まだ90歳の叔母さんも健在だ。

うちの姑が今年85歳。

三婆と 我々は呼んでいる。

みな 長男や次男・・・などの嫁だった人たちだ。

明治・大正・昭和・平成と生き抜いて来た つわものだ。

天寿を全うする、という言葉がふさわしい 静かな亡くなり方だったと聞いた。

記憶力も素晴らしく、親戚の多いなかでの本家の嫁として

 甥の嫁である私の実家のことも

しっかり 記憶にとどめておいて下さっていた。

農家の嫁として畑を 居場所とし 日向ぼっこをしながら 通る人と何時間でも

お喋りをしたり、部屋でカラオケを歌ったり 笑い声のあるユーモアたっぷりな方だった。

通りがかりに 何気なく言ってくださる 思い切りのよい本音の言葉を

 心強い励ましと受け止めたのは、私だけではないだろう。

いつも 暖かな炎を ポッと灯してくださった。

ちょっと 物忘れがひどくなり 子供のような仕草をすることのある 我が家の姑と 

お喋りしたあとは 私に

 「ここに来てお喋りすると、心が洗われるようだ」と言っては 手土産のヤクルトをくださった。

いつも 元気がでる言葉をくださって どうもありがとうござました。

 


3月24日

今朝、珈琲を飲みながら 中国新聞を読んでいた。

ん?この片隅に写る顔。。。あ!

親戚の子(といってもオジサンの域に)が 写ってる。

さっそく 実家に電話する。

「まあ、見てみんさい。あの子じゃけ」と 報告。

そして ふぅ〜と また珈琲をひと口飲む。

やや、生活欄には

枕やシーツで出来たシワのとり方。。。。なんていう

小さな欄を見つける。

「まず、顔を洗う前に クリームで軽くマッサージしたあと 熱々の蒸しタオルで

顔を蒸してから 洗顔せよ。。。。」と書いてある。

昨日のきょうだ、さっそく試してみよう。

そして珈琲を また一口のむ。

ややや!昨夜 yueさんちのBBSで akkoさんに訪ねたエクセルの広告が載っている

 しかも地図が付いてるではないか、これが 欲しかったのだ。 

なんか ムフフな朝だ。

まるで 朝刊と会話をしているようだ。

なになに?ユニクロオープンで・・・・・2000円?ふむ

朝一番、行って来よう!!

新聞を身近に感じた瞬間だった。

 


3月23日

たいへんだ!

朝 起きたら 顔に枕のあとが ついていた。

今回はデカイ、

ブラックジャックだ。。。


3月22日

昨夜 寝る前に携帯メールをチェックした。

我が息子より「横浜のつばめグリルでハンバーグステーキ注文中」と入っていた。

あいつめ、新幹線に乗る前に

「横浜、通るなら横浜駅のつばめグリル行ってみて、チョメさん

おすすめのお店だから きっとウマイぞ」と言った

母の言葉、聞き漏らしては おらんかったな。

うんうん。それでこそ!!

「私は もんじゃ焼きという目的のため そこに行きそびれて

心残りじゃった。かわりに堪能すべし!」と返事を送った。

目的地から目的地までが旅じゃないよね。

いつも のんびり回り道をする君から

教えてもらったよ。サンキュ


3月21日

春休みは終わった。

駅に二人の子供達を見送りに行く。

一人はみどりの窓口で指定席。

一人は 金券ショップで自由席を購入。

我が家の花は あわただしく ホームに駆け込み

 ちょうど来た新幹線の指定席に乗り あっと言う間に出発。

心は いまからの計画で一杯だろう。

兄は のんびりと40分後に出発。

2本やりすごして待ったおかげで 自由席には・・・・うまく座れた。

しかし、金券ショップで東京までと押したつもりが 新横浜までだった(^^;)。。と のんきな彼

ま、着けばいいや。と、彼らしい。

お兄ちゃんは 外に居る方がキチンとしているみたいだね。

家では ダラダラしてるけど。。

さあ、明日から みんな、それぞれ がんばろうぜぇ!!!


3月20日

長いようで短かった 我が家の春休みが やっと終わる。

みんな 残りわずかな滞在時間を 味わおうと

K伯爵(下の娘)は 我が家の花(姉)にベッタリくっついて

離れない。兄は CDのコピーに余念がない。

きのう 子ども達と 舅の墓参りに行ったとき 持参したガーベラの花が

情熱的な血のような真っ赤な色だった。

欲しくなって、4本ほど家に持って帰り 台所に飾った。

お会いしたことのないお爺ちゃん ごめんなさい。

そして ありがとう。

みんな おかげさまで 元気に成長しました。


3月19日

夕方5時頃の散歩は たくさんの人に出会うので わざとずらしている。

一人ずつと お喋りしたり、挨拶したりが ちょっとおっくうなのだ。

今日は 気持ちの良い1日だったので 墓参りのあと勢いでチョコの散歩に出かけた。

ちょうど5時。やはり たくさんの人に出会った。

そのなかの ひとり。

子どもの同級生のお母さんなのだが 私より3歳くらい年下の女性。

その方を 私はなんとなく尊敬しているのだ。

そういうオーラを持った人で、質素で 笑顔、無駄なことを言わない。

控えめだが 言うべき時には 的を得たことを

面と向かって相手に きっちりとまとめて発言できる人で、要するに 私の真反対の方なのだ。

 親しくお喋りをするでもなく、お茶も一緒に飲んだこともない。

めったに お会いすることはないが、偶然すれ違うことでもあれば 私は彼女の圧倒的なオーラに

尊敬のあまり萎縮してしまいそうになりながら にこやかに?

「こんにちわ」とだけ、挨拶をして去るのだ。

その彼女が 向こうからやって来た お互いニコっとして 彼女は

「まあ ここら辺まで?散歩ですか?幸せですね!」と言った。

思わず 私は 「( ̄◇ ̄;)エッわたし? ええ幸せです。あ、犬のこと?彼も幸せモノです。」と

笑顔で 通り過ぎた。私ったら なにを 聞き間違えてるんだろ。。。と

思いながら なんとなく彼女と出会えて 嬉しい緊張を感じている自分を見つけた。


3月18日

きょうは 暖かな1日だった。

愛犬チョコと 遊ぶ。

いつも朝4時頃起きる K伯爵(下の娘)に家の中に入れてもらい、

パソコンをする彼女の足下で長くなって寝るのが日課になっているようだ。

K伯爵 「きょうは めずらしく大イビキかいて、しかも寝たまま ぶぅ〜〜〜って 屁をこいた」

チョコよ、君は散歩中も 屁をこかない犬だったのだが。。。

うまくリンクすればよいのでが。。(^^;)


3月17日

K伯爵の誕生日。

姉の「わが家の花」にケーキを作ってもらう。

我が家の3姉兄は 真ん中の娘を中心に仲良くバランスが取れている。

なかよし3人組だ。 奇数とは良くない数だと思ったが どこも3でなりったって

盛り上がっている


 

3月16日

K伯爵(娘・猫鴉主)の入学式用のスーツを買いに 市内のデパートへ行った。

彼女は デカイ。身長は163cm ガッシリしている。

店内は 9号から大きいサイズでも11号だ。

なかなか 身体に合うパンツがない。

パンツスーツが希望なのだ。。

スカートなら ごまかせるが パンツは 身体に合うのでないと かっこわるい。

しかし 体に合うのがない。。

12号サイズ。。くらいなのだ。

ついに店の人に 「大きいサイズコーナーへどうぞ」と 言われた。

ピッタリのがすぐに見つかった。最初からここに来れば良かった。。。

帰る道々「あともう少し 11号まで 痩せんさい!!服がないじゃない。」

「うん。。」 妙に素直

お姉ちゃんが横で 「夏だったら も少し痩せてるから 11号でも行けたかも。。。」と

なぐさめにならない 言葉をかけている。

まだ固いつぼみよ、ほんのり薄紅色の花が膨らむように 色づきたまえ。

いまは3月 春だ。 ともに ダイエットに励もうぞ。


3月15日

人ごとだと 思っていた花粉症が ついに我が身に降りかかってきた。

くしゃみ一発 鼻水ぶぅ〜だ。

ぐちゅぐちゅする。。

今日は やっと春らしいポカポカ陽気になって イイナァと思った矢先の これだ。

ま、いっか、きょうは1日中 HPの ファイルの整理をしていた。

これくらい 真面目にコツコツと 家の掃除をすれば かなりピカピカになるはずだ。

やれば・・・・・・・・・の話だが

そっか 花粉症の原因は きっとホコリだろう。

チィ〜〜〜ン と鼻をかむ。。ふがふが


3月14日

寝るときは上を向くか 右側を下にして 横向いて寝る。

今朝 寝返りをうち左側を下にして寝ていた。

洗面所で 鏡を見たら 私の口の横に

ネズミのようなピョンピョンヒゲが 数本生えていた。

枕カバーのシワが そのまんま残っていたのだ。

ああ、このままでは外へ出られない。。


3月13日

お腹が いっぱいだ。胸焼け気味。。

以前 TVで ドラえもんの声でお馴染みの大山のぶよさんが

シジミで出汁をとり 大根しゃぶしゃぶをするのが 美味しいと

言っていた。今夜は 大根プラス キノコ類てんこ盛りで

キノコ攻めにしてみた。。。お腹の調子が悪い。

椎茸の臭いが 鼻について取れない。。

ちょっと量が 多すぎたみたいだ。

なんでも てんこ盛りの大好きな私だが

こればっかりは、もういい。

今度するときは 焼きキノコにする。

今夜はエリンギのような 火星人に襲われる夢を見そうだ。

揚げ物や生クリームたっぷりのケーキだったら たぶん うなされない。

ううううっぷ。。。ダメだ。。。

 


3月12日

子ども達が 成長し手がかからなくなりだして ちょこちょこと 月に数日とアルバイトのように働きはじめ

そのうち週、3日と徐々に 働く時間を増やしていった。

ちゃんと そのときの事情に合ったような仕事が、見つかった。与えてもらえた。

今のパートの仕事も 巡り合わせのように 降ってきた。

たまたま 一人空きがでたところへ もう人を増やさない方針だった会社へ

友人が 積極的に私を売り込んでくれたのだ。

「こんな良い仕事はない!外から見ていて じつに楽しそうだ、私がやりたいくらいだ!」と。。

私と会社の間を 情熱的に 取り持ってくれた。 

おかげさまで

毎日 楽しく働かせてもらっている。 育ててもらっている。満足して働らかせてもらっている。

その友人は 1年後 家庭の事情で そのときの職場を辞め 実家の家業を手伝っている。

運命とは 不思議だ。彼女が そのときそこに居なかったら ・・・・・・

わたしは また 違うところで 違う出会いがあっただろう。

人と人との連鎖に のっかり、良いときもあれば 悪いときもある

谷のような事が あったときは 良い連鎖が起こる前の 前振りだと思うようになった。

連なる全てのことに 感謝。


3月11日

日曜日はいい、なんとなく のんびりと過ごす。

家にジッとしているのが 嬉しい。

かといって たまったホコリをはらうワケでもない。

ただ ボォ〜〜〜っと ダラダラ過ごすのだ。

そういえば、夫が カビキラーを風呂中に振りまいて

かび取りをしてくれた。サンキュー

ただし、あとで水を流したのは 私だが。。

春休みで バイトをするでもなく 子ども達が家に居ると

ついつい一緒になって ゴロゴロしたくなる。

これが いい。

この 空気がみんな好きなのだ。

そして 夕食後にコタツに 割り込み一眠り。

「そろそろ 起こしたほうが いいんじゃないの?」という

話し声が 遠くで聞こえる。

ハイハイ、あともうチョットしたら起きますよ。。

今、何時? 11時かぁ 3時間も寝ちゃったんだ。

さ、日記を書いて お風呂に入ろう

静かで平和で健康な 1日に感謝


3月10日

私は 猫が好きだ。

チョコの話ばかりするので 犬好きと思われているかもしれない。

 犬も好きだが、じつは大の猫好きなのだ。

子どもの頃 私が生まれたと同時期に シェパードの雑種らしき子犬を

拾ってきた父は、名前を「カツ」と付けた。

このカツは 呉市内の中心部に居ながらも 生涯 放し飼いで育った。

赤ちゃんのときから 私の側にずっとひっついているので、

当時は、私のボディーガードのようなカツが 界隈での有名犬だった。

幼稚園へ行くのもいっしょ。 保育時間中は 部屋の片隅でジッと待っていた。

ときどき 保健所の人が 放し飼いの犬を捕獲に来たが、そのときは

走って家まで帰り 家族にカツ 救援を頼んだ。

そのときは 家まで必死で走った。

幼稚園まで戻ってみると カツが首にヒモをかけられ

あわや車に乗せられる寸前。。。なんていう記憶が数回ある。

ひやひやドキドキしたものだ。

しかも このカツはどこにでも ついてくる。それも影のように。。

ある時は 海田のお婆ちゃんの所へ行こうとして 汽車に乗ったら いつのまにか

汽車の中にまで付いてきたことがあった。

とにかく どきにでも どこまでもついてこようとする。

それでも ヒモでつなごうという考えは 家族の誰も 思いつかなかった。。

電柱の影に 隠れながらでも付いてくるので あるときは石を投げて 追い返してみたりと

この尾行をまくのに 苦労したという記憶のほうが 強いのがちょっと寂しい。

そのせいか、カツが 13歳で亡くなってからは犬は飼わず 猫を飼った。

その猫の名前は 「マミ」 彼女も 13歳まで生きた。


 

3月9日

朝、雪。動きたくない。。でも 仕事の電話が入る。

HPのアップのトラブルも気になる。

洗濯機は回したが、なかなか スムースに動いてくれないソフトにイライラしながら 何度も削除や更新を繰り返しているうちに

洗濯物を干すのを忘れていた。

化粧も忘れていた。掃除機は足下に転がっている。

何かに 夢中になるとは こういう時をいうのだろう。

パソコンお宅一家である我が家は こういうとき理解がある。

寝転がったまま「あそこをこうしたら?」とか パソ前で

寝ぐせで跳ねた髪の毛も何のその 何故なの?

どうして!?どうしてそうなるの?(萩本欣一風)と

うめいてる私に シャカシャカとヤカン磨きの続きをはじめる

夫。どうも チューブに入った磨き粉を買ってきたのを

見せたいらしかったが、今は目に入らない。。

時間は刻々と過ぎていく。

結局 夫の「別のFTPソフト使えば?」のアドバイスと

息子の 使い方指導に至る。。。

こうして やっと今夜のオカズも 新しい宝物「五丁目のマリー」も見ていただくことが出来るのだ。

サンキュー!みなさん サンキュー!ALL

 


 

3月8日

今日のわたしは 他動性ハイテンション症候群だ。

朝 呉美術館で 佐藤忠良.船越保武の二人展を 見に行った。

いついっても 呉美術館界隈の道は 素敵だ。

自慢できる 散歩ポイントだ。

http://member.nifty.ne.jp/nmitsue/kure-4.htm

私のスイッチは 午後2時 実家の呉から yueさんやJARAさんakkoさんにみよさん達のいる

広島のギャラリー”手”に 到着したときから 入った。いや 入ってしまった。

本来の私は どこかに吹っ飛び、JARAさん達に お会いしたという 興奮が

もう お尻フリフリ しっぽ フリフリ状態にかえてしまったのだ。

興奮して 自分でも はしゃいでしまい抑えが効かない。。

こんなに早く ネットの方達と こんな素敵な空間で お会い出来るとは 思いもしなかったから。

チョメさん サンキュ(^^)v チョメさん つながりだね。

朝、見た二人展の静かな感動と興奮が何処かに 吹き飛んでしまった。

また ひとつ 素敵な出会いに乾杯!

http://member.nifty.ne.jp/nmitsue/te-1.htm

 JARAさんにもらった 東京バナナ

今日の遠足のお菓子、娘のと3袋 サンキュ!

下の白い紙袋が素敵ね!って誉めてたら、「チョメの代官山みやげの袋」とのこと。

ここでも チョメさんに会えた。センスいいね。


3月6日

不思議な出会いがある。

チョメさんとの 出会いも不思議な出会いだった。

実際に 長い年月を越えて会った、そのときよりも、ネットでお会いするほうが 話しやすく身近に感じた。

私はパートだが 仕事には ライバル社がある。

わたしと同じような職種の方がいる。

私と担当区域が同じ人だ。

わたしは その人が 好きだ。

 彼女は ひょうひょうとしている。

会った瞬間から 何年も前からの 親友のように話せるのだ。

肩が凝らない。仕事の話にはお互い いっさい触れない。

うわさ話は チラリと出るが、ほとんど 意味もないことを 繰り返し言って ギャハハハ笑い転げている。

そして 「私たちは もしかして ロミオとジュリエットじゃないの?」と 思わず言ってしまいそうになる。

人を構えさせない自然体が 彼女の魅力だ。

それが 彼女の武器でもある。

持って生まれた彼女の天分だろう。

 

 


3月5日

息子は3月3日桃の節句に うちに帰ってきた。

きょう体重を計ったら この3日間で3kg太ったそうだ。

毎日 同じ食生活を おくっている私の体重はいったい。。どうなっているのだろう。

わたしも 都に行けば 痩せられるだろうか。。

こちらに 帰ってきて 山を見たら 心が和むと息子は言った。

寮の屋上から見渡す景色は 360度 建物ばかりで 山が見えない。。と

それじゃ 東京砂漠だ。

電車の中から 高尾山がチラっと見えた日は 「山だ!」と 思わず心が弾んだそうだ。

べつに 山登りをする山男ではない。

家にいるときは 家でゴロゴロするだけなのだが。。家の後ろには阿武山がある。

はるか西には 武田山 東には白木山が見える

毎日 その山々を見て育った。

山を見たら 心が躍るのは そのせいだろう。

 


3月4日

シャカシャカ ゴシゴシゴシ。。。私は 台所でヤカンを磨く。

昨日もらった ステンレスたわしが 長い間取れなかった

焦げ付きを キレイに落としてくれるのが 嬉しくて

一心不乱にごしごしごし・・・・・・・

聞き覚えのある 外国の女性シンガーのジャズが流れている。

息子に「それ ちょうだい。」という

娘達は ゲームをしたり 本を読んだり、ときどき キャラキャラと楽しそうに笑っている。

夫も 毎週日曜日は 午後から出かけるが 今日だけは家にいる。

TUTAYAでDVDを 借りてきたりと 我が家は まるで正月気分だ。

子ども達が 幼い頃、早く大きくなって 手が掛からなくなればどんなに良いだろう。

 と、そのときが来るのをどんなに待ち望んでいたことか。

いま 子ども達が 成長して県外に進学し 家族全員が 揃うのは 学校が休みの間のわずか

 2週間くらいとなると、家族全員が 揃ったこの時間が とても貴重に思えてくる。

これから どんどん減っていくこの時間の 一瞬一瞬を

しあわせの実感として 味わっていきたい。

 


3月3日

東京にいる苦学生?の お兄ちゃん(息子)

今朝6:50羽田発の飛行機で帰ってくることになった。

結局 乗り遅れた息子は 切符をキャンセルし スカイメイトで切符を買い

 7000円の余分にかかった差額にショックの声で。

「乗り遅れたぁ〜〜〜(T^T)」と電話がかかる。

実家の呉のお婆ちゃんちにも 「和菓子のお土産があるよ。」と言うので。

空港バスが到着する広島駅まで 我が家の花と迎えに行く。

広島駅からそのまま呉へ 和菓子を届けて 広島に帰る。

いつも有料道路を通るのだが、今日は久しぶりに 下の道路を通ってみた。

つぶれちゃった 呉ポートピアが 住宅展示場となったと聞いたが、ポートピアのときより

駐車場にとめている車の数は 多い。無料の力は大きい!!

今日は桃の節句  お土産の吉祥寺虎屋の和菓子で 一服

 


3月2日

ついに広島にも 劇団四季の「オペラ座の怪人」の1ヶ月公演が

やってくる。広島についにやってきた。文化の夜明け!!

8月11日からだそうだ。

これが うまくいけば 広島にも芝居小屋が出来るかもしれないそうだ。 嬉しい!!

なんとか 観客で連日満員になって欲しい。

どうせ見るなら 芝居小屋で見たい。

昨年、浜松町の劇団四季の会場を見て うわうわうわぁ〜〜〜

都はスゴイ!カッコいい!と 感動したのは

劇場には カフェテラスや呼び込みのピエロさんや

コートを預ける場所、シートやオペラグラスの貸し出し、

そして 開演前の演出、全ての空気とともに観た

ライオンキングが素晴らしかったのだ。

芝居だけではない、劇場の空気。

それが 広島で味わえるかどうか 期待したい。

わたしは それ以来 都かぶれだ。

もしできるならば 横川あたりに 出来ればいいな。

駅周辺で 小さな食堂や小さな店屋が いっぱいあって 太田川も美しい

天満川と太田川本流の境目あたりの川沿いの景色は 私の一番のお気に入りポイントだ。 

JRとアストラムに近い。市内にも ちょと近い。

ぜひ 横川に来てください。劇団四季さま

サッカーの会場ビッグアーチは遠すぎる。観客動員数が少ないのは きっと それがネックだと思う。

まだ 広島スタジアムだったら 客は多いかも。、話がそれた。

さっそく 劇団四季の会に入会しなくては。。。

わくわく どきどき 

そうだ! 今朝の中国新聞に載っていた四季のみなさんの写真!!

怪人をされていたのは もしかして ライオンキングで お父さんライオンをされていた方では。。。

(*^^*) うし 。。はしゃぎすぎて 本日の日記は支離滅裂


3月1日

娘の卒業式当日。

渋滞で 遅刻寸前で間に合う。セーフ!

スーツは 心配したとおり ホックがギリギリでこのまま太るともう次の服は無い。緊急事態だ!

卒業式後 各教室で 名前を呼ばれ チューリップと卒業証書を

担任・副担任の先生からいただいた。

一人ずつにクラスのあちこちから 明るい声がかかる

「おめでとう!」 「おめでと〜〜〜」

めちゃめちゃ 明るいクラスだ。

娘はこんな明るいクラスに居たのかと ちょっと嬉しくなった。

先生が「これでいよいよ、ホントのお別れだ。なんか、良いことを言おうと思ったが、

。。(ノヘ;)。。。自分に厳しく、他人には優しい人であってください」ううううと 途中で泣き出した。

娘が入学した年に 新卒で入られた体育の男の先生が担任だった。

入学式直後のクラスでは

すごく 頼りなさそうで 副担任のオジサン先生にすがるような

眼差しで つぎはどうしましょうか。。?と問うているような感じだった。そして3年たった。

 先生の風格がついてきたみたいだと思ったら 最後にうううと泣き出した。初めて出す卒業生だから。

生徒達に「先生、ガンバッテェ!」と あちこちから

声をかけられて励まされている。

笑いっぱなしの卒業式だった。